富士日記〈上〉 (中公文庫)
「作家夫人の山荘暮らし日記」というと、花だの月だの悠長な話かいなと思うが、そしてその通りといえばその通りなのだが、武田百合子という人の目を通すと、予想を裏切る、なんともエキサイティングな日々の暮らし! 「死にかけた野鳥の雛を踏み殺してやる」野性の優しさが私は好きだ。何度読み返しても飽きない。心が落ち着く本。
ひかりごけ (新潮文庫)
「富士」も読みましたが、武田泰淳の作品は、いろんな意味で「閉じ込められた人間の究極」が書かれており、読み手の私も猛烈な閉塞感、圧迫感を感じてしまうのです。それは孤島であったり、氷河であったり、精神病院であったり。普通なら置かれないところに押し詰められた人間の心、行動、それをここまで突き詰めて書けるものか?と思ってしまいます。
「ひかりごけ」では、何日も食べていない、全く食べるものがない、今後も食べるものが手に入る可能性はゼロという死目前の状況に閉じ込められた船員たちが、「人肉を食べて生き延びる」という悪魔の誘いに対し、各人それぞれの信念を貫く姿が書かれます。そういう状況下に置かれたこともないくせに「人肉を食べるなんて鬼畜だ」なんて簡単に非難できるのか。「食べずに死んでいったからすばらしい」と敬えるのか。唯一、食べて生き残った船長は、何を問われても「私はただ我慢しているだけだ」と繰り返すけれど、彼のいう我慢とは何か。読み手によって幾通りも答えが考えられるという読書の醍醐味を、久々に味わいました。
白昼の通り魔 [DVD]
大島渚の作家性を充分堪能できる作品である。闘う反体制映像作家が久しぶりに前衛的な作品に挑戦した。冒頭からカットの連続、死人の前で女を犯すと言うセンセーショナルな題材ながら、後半はどんどん主題からずれ、観念的な世界に引きずり込まれてしまうのである。賛否両論あるだろうが、私は大島渚の傑作だと確信する。戦後の女性の立場、地位考えさせられる作品だ。
ひかりごけ [DVD]
実話をもとにした映画「ひかりごけ」見ました。
極寒の知床岬に漂着した船員4人(三國連太郎, 笠智衆, 奥田瑛二, 田中邦衛, 杉本哲太 )が徐々に衰弱して弱っていく。
食料はまったくない・・・人間を除いて!
もめながらも結局は死んだ仲間の肉を食わねば自分も死ぬという展開に。
田中邦衛は食わないで死ぬが三國は食う!ガツガツ食う!!しかも生でくってた。
人肉をもぐもぐやってるときの三國連太郎の眼がものすご怖い!
人間の眼じゃない気さえする。
結局人食い船長三國が3人完食して生き残った。
現実ではこの船長は裁かれて有罪になったらしい(懲役1年)。食人で刑を受けた初めての事例だとか・・
自分がもしこういう状況になったらどうするかなぁ?
やっぱりなってみないとわからないです。
地味に怖い映画でした・・・
司馬遷―史記の世界 (講談社文芸文庫)
左翼運動と中国文学に心惹かれながら、日中戦争に従軍・転向した著者が20代後半で書き出したとされる代表的随筆。「司馬遷は生き恥さらした男である。」という書き出しから始まるこの力作は、そのまま自分の姿を司馬遷に写したものと読むのが一般的だ。
また、盟友・竹内好が本書解説で指摘しているように、時局に恵まれずとも「世界」を書ききった司馬遷の姿を描くことで、戦時中の知識人批判を行おうとしたとも読めるだろう。
もはや、そのような文学史的意味を外してこの本を読むことは難しいのだが、皇帝や英雄、その周りの知識人といった「政治的人間」や名も無き暗殺者達などが複数の惑星系を作り出す宇宙的なシンフォニーとして司馬遷は「史記の世界」を描いた、とする説はダイナミックで、今読んでも面白い。20代でこんな本を書いたという博識ぶりには驚かざるを得ない。
なお、著者は浄土宗の家に生まれ育った関係で、三島由紀夫の葬式では僧形で弔辞を述べている。この本について三島は日記「裸体と衣裳」の中で「小説家としての氏も、最後には、この最初の認識、「腐刑をうけた男」の認識にもどらざるをえぬのではないか。」と指摘している。僕は戦中・戦後の日中関係を背負って武田泰淳は文学活動を行ったと思っているが、三島と同様の認識である。そんな武田の文学的スタート地点が、このような苦渋に満ちた文章だというのは、今の時代の両国関係を鑑みると、何か象徴的な気がしてならない。