花から花へ
彼女の美貌は定評がありますし、このアルバムのリーフレットでも舞台風景のスナップ・ショットや華麗な衣装に身を包んだ彼女のポートレイトが掲載してありました。
幅広い音域をもち、たっぷりとした声質のソプラノです。その美貌ゆえマリア・カラスの再来と言われていますし、実に巧みな表現力からもそれが伺えます。
ヴェルディ《椿姫》から〈ああそはかの人か…花から花へ〉、ベルリーニ《夢遊病の女》から〈おお花よお前に会えるとは思わなかった…おお思いもよらないこの喜び〉、ベルリーニ《清教徒》から〈やさしい声が私を呼んでいた…さあ、いらっしゃい愛しい人〉、ドニゼッティ《ランメルモールのルチア》から〈優しいささやきが…香炉はくゆり…苦い涙をそそげ〉、ヴェルディ《オテロ》から〈泣きぬれて野のはてにひとり…アヴェ・マリア〉、そしてボーナス・トラックのプッチーニ《ジャンニ・スキッキ》から〈私のお父さん〉と世界の過去のプリマ・ドンナに挑むかのような選曲です。
それを実に堂々と歌い上げているわけですから、拍手喝采なのは言うまでもありません。
オペラの頂点にたったクラウディオ・アバド指揮、マーラー・チェンバー・オーケストラ、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ合唱団をバックに従えて、臆することなく、これらの難曲をいとも簡単に魅力的に歌うわけですから、人気が出るのも当然でしょう。役どころをしっかりと捉え、その心情を声にのせるという技巧も十二分に持ち合わせています。
狂乱の場でのコロラトューラもしっかりと声が出ています。コロラトューラの音楽を歌うよりも太い声質ですが、音域の広さが他のディーヴァにない持ち味となって伝わってきました。
ラストの〈私のお父さん〉の伸びやかな歌唱を本場のイタリアの合唱団員はどのように感じ取ったのでしょうか。これぞ名唱、これぞ名プリマ・ドンナといった演奏でしたので。
あゝ、荒野 (角川文庫)
ウソだろーーーーーーー!寺山修司の初長編に森山道山が写真を衝けた!?今を遡ること40年前の新宿を妙に克明に描いたこの小説に森山の40年前の新宿の写真がズラリと並ぶ。ただの復刊にせず、寺山の死を超えて森山を並ばせた企画者に感謝するばかり。どんな賛辞も足らない見事な復刊業である。
そうでなくとも語られ、語り継がれ、語ることの尽きぬ二人の作品をここで60年代に物心もついていなかった僕が何を語っても羞恥の限り。想像を越える当時の東京をヴィジュアルで補完してくれるのが森山だ、言うことはない。一点、「あしたのジョー」に心酔していた寺山がボクサー<バリカン>をメディアにして語ったこの一冊。勇ましくも情けない、情けなくも果敢な姿。町を徘徊する野郎ども、読んでおけ。襟を正せ。着ているTシャツとパーカーに襟がなくても。あ、オレか。。。