NEOGEO オンラインコレクション サムライスピリッツ六番勝負
CEROレーティングがB(12歳以上)ということで表現が緩和されているのではと不安でしたが
大丈夫でした。血の表現や切断表現(グロくはないですよ)もしっかりあります。
移植はアーケード版そのまま(エミュ?)で納得の出来です。
ロードは各タイトルを立ち上げるときは長いですがそれ以外は0〜4秒程度と短いです。
天下一は少し前にPS2に移植されたのを基本そのままブチ込んでます。
なので家庭用オリジナル要素もそのまま、しかも隠し要素は最初からオープンになってますし
声優が変わってしまったキャラのボイスをオリジナルに変更可能と至れり尽くせり。
細かいところではアナログスティックでも操作可能になってました。
オリジナル通常版を購入していた私にとって天下一の出来、これは悔しい(笑
(ちなみに天下一のみロード時間はオリジナル同様長め。)
さてここからが本題・・タイトルの意味と、全体の評価が低い理由についてです。
グラフィックオプションに納得いきません。はっきり言ってすごーくショックです!
なんと言うか・・フォーカスがソフトで固定されていて変更不可なんですよ。
なので画質がボヤけてます。(天下一のみクッキリしてます。)
まさか変更不可なんて思ってなかった・・大好きなシリーズなだけに・・はあぁ〜;
私はドット絵や低解像度のグラフィックにはなんの不満も持たない人間です。
むしろ低スペックで頑張っているグラフィックは好物です。荒いドットの角々したシャープ画質が好きなんです。
なのでこのボヤけたグラフィックは・・ゲームソフト側で補正かけているのでどうにもできんし。
この気持ちをどこにぶつけたら・・泣けてきます;
こんな風に思っているの私だけなのかも知れませんが・・
ああもう、せめてベスト出すときはフォーカス設定できるようにしてください;
サムライスピリッツ閃
サムライスピリッツの大ファンなので、どういうかたちであれ新作は素直に嬉しい。
だけどSNKプレイモアさん。やり残したことがあるんじゃないかな。
ネオジオを支え、1本4万円もする高価なROMカセットを購入していたネオジオROMユーザーに対して、やはり『サムライスピリッツ零スペシャル』の完全版を出すべきじゃないだろうか。ネオジオで。
サムライスピリッツの新作や、移植を見る度に零スペシャルの件を思いだします。
ネオジオ最後の花道は、やはり最後まで完全移植で幕を閉じたい。
それほどまでに零スペシャルは、素晴らしい作品だった。
メーカーさん。どうか見てたら零スペシャルの再販を検討してもらえないだろうか。完全版で。
by.未だにネオジオROMを愛してやまないバカ男より
サムライスピリッツ 天下一剣客伝 いろは (ノンスケールPVC製塗装済み完成品)
申し訳ないですが、アートストームという社名は知らなかったので商品のデキには少なからず不安もありましたが、実物を見て安心しました。
他にもいろはのフィギュアは出ていますが、
ゲームイラストを模写したようなフィギュアはほとんど顔のデキが悪く敬遠してましたが、(ゲームイラストが明らかに立体化に不向きな点も考慮してますが・・・)
今回は顔がとても可愛く出来ていたので購入に踏み切りました。
大きさも手頃でとてもいい仕事だと思います。
竹光侍 8 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)
ストーリーは複雑でなくとも、独特の世界観を持ち行間(コマ間?)を読む(味わう)ことを読者に求めている漫画は、単行本の発売間隔が長いような気がする。そういった漫画の最新刊が発売されたときには、必ず第1巻から再度読み直してから最新刊を読むことにしている。最新刊をより深く味わえると思っているからだ。勿論、この最終巻も同じようにした。
私はもう40歳を超えたのだが、ここ数年の好きな漫画は前述のような作品か、中3の息子が買ってくる勢いで読める漫画という両極端な傾向がある。なぜか、いわゆる青年誌に連載されているマンガは読む気にもならない。息子も中学生になり、私自身が買ってくる(かつて買っていた)漫画を読んでいるのだが、「なにがいいのか全然わからない」といっているのが、松本大洋の作品だ。
*ただ、「ピンポン」だけはおもしろいといっている…。
私の最も好きな漫画家は谷口ジローなのだが、初期も含めほとんどの谷口作品を読んだ息子はまぁまぁおもしろいという。二人の漫画家には「絵だけでも読者にすべての空気を伝えることができる」という共通項がある。
現在、谷口ジローが描いている漫画は本当に地味だ。間違いないなく読者層の年齢は松本大洋よりも上だ。中3の息子はそういった漫画家の作品よりも松本大洋の作品がおもしろくないと言う。それだけ松本大洋作品が持つ空気は個性的だという証のような気がする。
そんな、彼が描いた時代劇。終わってみれば特異なストーリーでもない。ありふれているといってもいいくらいだ。しかし、だからこそ、彼の絵の魅力、登場人物の魅力、空気間が生かされるのだと思う。
彼はこの作品で、セリフを極力排除する(もともとセリフは少ないが、そんな彼の作品でもっとも少ないのではないか)ことによって、絵(漫画)による表現の限界に挑戦していたのではなかろうか。本当のところはわからないが、私にはそのように伝わってきた。