私戦 (講談社文庫)
金嬉老事件があったのは昭和43年のことである。著者は当時読売新聞本社の社会部記者として名を馳せていたが、その主張は殺人犯を擁護するものであるとして、職場でかき消されてしまった。その後フリーの道を選び、この作品を発表したのは昭和52年から53年にかけてで事件の約10年後だった。著者の父親が朝鮮総督府の役人から現地の軍需会社の管理職に転じ、敗戦によって支配層の一端から転げ落ちて、無一文の引揚者となったという自身の生い立ちから、この事件は看過できぬものだったのだろう。
金嬉老事件は赤軍派によってひき起こされた旅客機乗っ取りとなる「よど号事件」の2年前の事件で、警察自体もどう対応すればいいか体系化された方策がまるでなかった時の事件で、結局警察とマスコミの手によって「凶悪なライフル魔」による人質監禁事件として一件落着となる。
著者は在日朝鮮人金嬉老が犯行を犯す背景の差別社会を、事件の経過とともに関係者への丁寧な取材を通じての証言をもとに浮き彫りにした。他にも当時の「文化人グループ」なるものが犯人に同情的な呼びかけを発表すると、金に協力的だとしてマスコミに叩かれ、すぐにグループが霧散する無責任さも取り上げている。
この作品は朝鮮人差別という重いテーマを扱いながら、やくざのあこぎなやり方、人質となった人々の心理、権力に擦り寄って自社の腕章を貸し与える報道陣の姿などを実によく描いており、一級のノンフィクション作品になっている。