秋葉原事件―加藤智大の軌跡
週刊朝日4月1日号「加藤智大被告の交友関係を追う(上)」及び同4月8日号「(下)ネット上の承認≠リアルな世界の承認」の完全版。できる限り、被告を知る人に会い、裁判を傍聴し、彼の事件までの軌跡を事実追ったものである。
事件直後の様々な分析や批評は、「裁判を通して明らかになった重要なポイント」を当然踏まえていない。無縁社会どころか「加藤には『リアルな世界』に多くの友人がいた」ことを、例えば『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』(洋泉社MOOK)の執筆陣のうち、何人が知っていただろうか?
■「ここから彼の世界がねじれはじめる」
まず評者が衝撃を受けたのは、加藤被告がmixiを利用していたということである。当時は既入会者からの招待制だったから、「友達がいない」どころではない。また、彼の周りには小学生以来の幼なじみグループがあり、成人以降も自殺未遂をはじめとする彼のトラブルをフォローしようと連絡を取り合っていた。不細工でモテないというのは掲示板用のネタであり、一時期ガールフレンドもいた。本書を読む限り、母親の躾は虐待の領域だっただろうが、成人後に母親と邂逅している(85p)。
全国各地に出向いて職を得る行動力と職場への適応力、即ち“社会人基礎力”は十分にあった。職を転々としたのは仕事になじめなかったのではなく、やめるという行動で自分の不満を上司に斟酌させたいという動機によるものだった。そればかりか、駐車場での車内ひきこもりから「立ち直った」経験もある(129p)。事実、加藤被告はその年の年末に手土産を持参して、滞納駐車料金3万円あまりを支払ったという(136p)。
だが、自己承認欲求を満たしていたネット掲示板を“なりすまし”に荒らされ、行き詰った時には状況が変わっていた。“建前=リアル/本音=ネット”という価値観に縛られるあまり、地元の友達からの連絡を無視し、車の借金やアパートを踏み倒して、リアルな故郷を捨ててしまったからだ。
■「『弾』はいつでも発射可能な状態になっていた」
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母の過剰なしつけによって身についた行動パターンがあり、今回はネット上の「なりすまし」に対してアピールするために事件を起こさざるを得なかった。これが加藤と弁護団が構成したストーリーだ。彼はこれまで原因とされてきた「派遣切り」や「彼女ができないことへの苛立ち」などをすべて明確に否定した。(13p)
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その上で、著者はこう警鐘をならす。
『本当に重要なことは(なりすましへの警告という「引き金要因」ではなく)「弾の要因」の追求にこそある(15p)。「加藤は、「引き金」と「弾」の関係を明確に理解していた(200p)。
「引き金」が何であるかは、特に重要ではなかった。たとえ「ツナギ騒動」がなくても、別の出来事が起これば、(フラストレーションが許容限度を超え、自己同一性(アイデンティティ)が溶解した状態だったので)それが「引き金」になった。(「ギリギリ」の状態に陥った)要因は「一つだけじゃない」。そこには、徐々に「積み重な」った「いろんな要素」が存在した。(181p)』
■秋葉原事件を風化させないためのヒント
『一人の人間に(自分の悩みや弱さなど)全てを求めてしまうと、「ここで認められなかったら絶対にダメだ」というふうに、自分を追い詰めてしまう……どうせばらばらなんだから…友達とか彼女とかいったものに、過剰に憧れを抱く必要もない。みんな、関係幻想の中で、適当に自分を満足させているだけなんだから。』
(『〈リア充〉幻想―真実があるということの思い込み』仲正昌樹)
『建前=リアル/本音=ネットという単純な二分法が成立しないことなど、彼は経験上、熟知していた。だからこそ、彼はリアルの「言葉」と向き合うべきだった。自ら作り上げた岩盤を、意志をもって崩すべきだった。自己と対峙することが怖くても。』
(本書“エピローグ”231p)
SAPPUKEI
タイトルは一曲目の歌詞。この歌詞からも当時の勢いの良さが分かると思う。
NUMBER GIRLを聞くにあたってこのアルバムをすすめる人が多い気がするけど分かる気がするなぁ〜。
凄まじい程のカッコよさです!興味あるかたは是非!
白昼の通り魔 [DVD]
大島渚の作家性を充分堪能できる作品である。闘う反体制映像作家が久しぶりに前衛的な作品に挑戦した。冒頭からカットの連続、死人の前で女を犯すと言うセンセーショナルな題材ながら、後半はどんどん主題からずれ、観念的な世界に引きずり込まれてしまうのである。賛否両論あるだろうが、私は大島渚の傑作だと確信する。戦後の女性の立場、地位考えさせられる作品だ。
決壊 上巻
感想
登場人物のいろんなところに共感できてしまうので、
物語にスッと入り込んだ感じです。
崇やその友人との会話は難解で、
そこはついていくのがやっとなんですが。。。
智哉は「悪魔」に簡単にコントロールされてしまった感じもしますが、
智哉が学校や家庭で置かれていた環境や、「悪魔」と対峙した状況を考えると、
無理もないかなと思い直しました。
「悪魔」が簡単にコントロールできる人物として、
智哉を選んだということもできるわけで、そう考えると納得です。
すなわち、これはフィクションですが、
実際に起こりえる話ってことになります。おー恐っ。