Piss Factory
永ちゃんみたいにカッコよく歌えるワケじゃない。
大瀧先生のようなメロディーなど作れる筈がない。
しかしこれは、日本人によるロックンロールの最高の形を示しているアルバムだと思う。
サウンドは、らもがしまってきた本物だけを、見事自らの引き出しから解放させたものばかりである。
その歌詞は鬼才中島らもの才能が爛々と発揮されている。説教もメッセージもない。
無意味に光る。
このコトバのもつ衝動がロックであると、脳に背骨に痛感させられる。
らもは自らのこの作品を「親殺しの音楽」「王殺しの音楽」と呼んだ。
見事な表現である。
私が首相なら発禁にする。
ガダラの豚 1 (集英社文庫)
中島らもはアル中や薬中のネタばかり繰っていると思っていたら、大間違い。「ガダラの豚」は大エンタテインメントです。ジャンルとしては、私は冒険小説だと思いますが、冒険小説は現実離れしていて今更読めないという人も、読み始めたら止まらなくなること請け合いです。題材に使っているアフリカの呪術師や新興宗教に関する取材もバッチリで、今やヨレヨレとなってしまった感もある中島らもさんの姿から考えると、この小説をきちんと仕上げてくれた事は奇跡的なことであったように思います。非常に才能のある人なので、またアル中からも躁鬱病からも立ち直って、この本くらい面白い小説を是非書いて欲しい。
中島らもが復活する日のことを考えて、みなさんせめてこの本だけは読みましょう。
寝ずの番 [DVD]
近年日本は「性」を暮しの影の部分とし、表立てず奥ゆかしいのが美徳だった時期が長いように思う。反対に現代ではネガティブな過激な現れ方もしてしまうのだが。
むかし読んだ本では、インドで列車で、車窓から見える田園の景色のなかに、農作業の途上と思しき夫婦の白昼堂々たる性の営みが見えることがあったと言う。
また反対にトルコ映画で「路」という映画では、夫婦が電車内のトイレだったか、やむにやまれぬ抱擁を乗客に目撃され袋だたきにあうシーンもあった。
性の営みなしにぼくもあなたも現世に存在しないのに、なんでぼくら恥ずかしいんだろ。
ぼくらは恥ずかしいことから生まれて来たんですか?
この映画には「死」に対しての楽天的な態度というものも感じられる。これがもうひとつのこの映画の持つ魅力だが、「性」と「死」はセットとして語られることがゲージツでは常識だ。
死後硬直をしている師匠の死体と弟子たちの肩を組んでの「死人のカンカン踊り」を観て、つげ義春の同じシーンのまんがのひとコマを思い出した。
死は生のなかにあって存在を主張する。もっと馴染むべきものなのかも知れない。
「寝ずの番」は、長年役者としての経験が伊達ではないマキノ雅彦監督の愛情が各所に感じられ、それはとくに各出演者たちの魅力を引き出していて、さすがに自ら役者さんならではの愛情あふれる映画作法。ドラマとしてはテレビサイズだが、たぶんテレビでは放映できないのは挑戦的。R15指定というのがすでに笑いがとれる。心配ない、観客席は半世紀を行ったり来たりの人脈だ。
映画の発端、死に逝く師匠にスカートをめくり「おそそ」を魅せる木村佳乃のシーンに、けっこう感動したワタシは現世を半世紀過ぎた。
下品という文化の伝統の、気高き貴い意味がここにある。
TOMBSTONE BLUES
ライヴアルバムである。音はすこぶる好い。
殊にらも本人のMC。目の前で在りし日の中島らもの姿が蘇る。相変わらずの「らも節ロック」が炸裂し、脳髄直下型の電流が走る曲もあれば、多様性に富み、雑多な内容である。 その中でも放送禁止用語、差別用語を多用し、
爆笑問題の番組でピーが14回入った「いいんだぜ」という曲の歌詞を一部分だけあげたいのだが、
♪君がクラミジアで/
君がヘルペスで/君が梅毒で/君がエイズでも/
俺はやってやる/撫でてあげる/舐めてあげる/
ぶち込んでやるぜ/♪ を聴いたとき、これほどまでのラブソングは、今までにあっただろうか?と云った大変大きな衝撃を受けた。
何かと暴力と差別が氾濫しすぎるあまり、人間本来の感覚や慧眼が鈍麻している昨今、さも偉そうに、偽善と詭弁を背負って全く笑えぬ道程をゆくくらいなら、
尊い人と同じ目に遭うことは、はなから不可能で、近づいてあげたところで別に落ちていくわけでもないし、落ちてゆくのなら、それはあんたが弱いからであって、ゴキブリのような自身の生命力を信じて生きてゆくことの方が、
ある種、ブラックユーモアなんだよ。
と中島らもは、無責任に標榜している気がした。
愛ある無責任さゆえの、懐の深さ、やさしさに勝手に泣いてしまった。
中島らもファンでなくとも、皆さんにお薦めする。
こどもの一生 [DVD]
本作を劇場で観た。 もう10年位になるだろうか。確か今はなき近鉄劇場だったと記憶している。
故・中島らも氏の戯曲を、今や売れっ子になった演出家G2(当時は本作にも出演している升毅が主宰する"MOTHER"の作・演出がメインだったと記憶している)が見事に形にしてみせた。
本作に出演している役者陣は今や全国区のTV等にもひっぱりだこだが、彼らのスタイルはこの時点で既に完成している。
記憶が正しければ、本作にはうら若き日の小沢真珠も出演している。
とにかく面白く、そして怖い。
当時演劇に足を踏み込み始めたばかりの私には、全てが新鮮に思えた物だ。
映像や音楽を舞台上で巧みに織り込みつつ、ダイレクトに伝わる役者の時に軽妙で、時に戦慄すら覚える演技に私を含め観客はその世界にやられっぱなしだった。
現在ではらも氏自身による本作のノベライズを手にする事も出来るが、それはあくまでこの舞台を観た後でのサブテキスト。
とにかく味わって頂きたい。
なんて事書いてると、後ろから人の声が・・・・
「よろしいですか〜!?」
「山田のおじさん」が立っていた。
血の滴るチェーンソーを手にして。
・・・・・と言う事が舞台上で繰り広げられるのだが、これ観た後では暫く夜にパソコンの前に座る気を無くすかも知れないのでお気を付けて。