ローラーとバイオリン [DVD]
タルコフスキーが学生のころに撮った作品です
少年とローラー運転手の出会いと別れが描かれています
感性がみずみずしい
「栴檀は双葉より芳し」といいます
優れた才能を垣間見ることが出来ます
ぼくの村は戦場だった。
知っているようで知らなかった紛争地の現実の姿が描かれている。日本のメディアではあまり伝えられない、あるいは伝えていても一過性のニュースで終わってしまっている出来事を時間をかけ、丹念に取材している。冷静でとつとつと語る(!?)文章に引き込まれてしまいました。大げさに大儀を掲げたり、主義を主張していないところもとてもよかった。
声をあげたくてもあげられない人にかわって世界に伝える姿勢に共感が持てる。取り上げているチェチェンやイラクなどどれも悲惨が現実ばかりだけれど、読み終わった後、とても前向きな気持ちになる。
僕の村は戦場だった [DVD]
「自国の戦争」を正当化しているように見せかけて
「戦争」の残酷さ・理不尽さを描いている点が印象深い
作品であります。
まさに「表現の管理・統制」に対する
ささやかな反抗であるといえるでしょう。
(同時に「表現の自由」がいかに素晴らしいものかを再認識させてくれる
作品であると思います。)
僕の村は戦場だった [DVD]
ウラジーミル・ボゴモーロフの小説「イワン」の映画化でタルコフスキー30歳の初めての長編映画です。両親を戦争で亡くしたイワンは、敵への憎しみから12歳にも関わらず強く希望して敵陣への偵察行動に参加します。そして命を落とすまでの物語です。どの国の映画でもよく登場する、「お国のために命を捨てるのだ!」と言う軍人は登場しません。その代わりに、この映画で登場する軍人達は「戦争は大人に任せて子供は学校に行け!」と皆、少年に諭します。つまり、軍人の言葉の方が少年の行動より正常に感じられるというところが、他と違うのです。そして、戦争によって心を病んだ少年の戦場での光景と、彼の母や、想いを寄せる少女との平和な時の回想や心象風景が強いコントラストを放っています。あくまで少年の中だけの狂気と正常がコントラスト強く、美しく捉えられています。。なぜこんなにも美しいのでしょうか?タルコフスキーの映像が美しいから?確かに最大の要因の一つでしょう。でも僕はここで描かれている狂気も正常も純粋だからだと思います。少年ゆえの母に対する愛が純粋だから狂気に走り、純粋だから美しい思い出もあるのです。それが他の戦争映画、例えば酒に溺れたり人を殺したり薬中になったりという、アメリカ映画で描かれるベトナム戦争の正常と狂気との差なのでしょう。酒も飲めばセックスもするという大人とまだ母の愛や淡い恋しか知らない少年の被写体の違いなのかもしれませんけれど。しかしそれが、世界中の数々の戦争映画には見られない美しさ、瑞々しさを持つ映画としてくれているのです。この映画に登場する軍人達は、もちろん命をかけて戦争をしているのですが、つかの間に、恋もするし、横恋慕もする、少年に学校へ行けとも言う。けれど、少年の純粋で一途な愛ゆえに、将校や軍人より強い義務感を持ってしまったという悲しい物語です。そして、終戦後の処刑所で、ソ連の軍人ガリツェフが心の中で聞いた少年に対するドイツ兵の言葉は、純粋さを侮蔑する言葉に聞こえました。とても痛いです。最後の美しい追いかけっこのシーンも忘れられません。PS:ところで、この映画の中に登場する白樺の森は僕の人生の中で一番美しい白樺の森です。