You can’t catch me
まず、参加メンバーが超豪華。菅野ようこ・鈴木祥子・かの香織・北川勝利や河野伸・石成正人といったおなじみのメンツに加え、柴田淳・スネオヘアーやキリンジ・真心ブラザーズ・スキマスイッチ(の各々の片割れ)といった新しい作家陣。かつ曲ごとのプロデュースやバックの演奏に服部隆之・金原千恵子ストリングス・「富田ラボ」・屋敷豪太などなど。新しいリスナー層に対するアピール力は十分だと思う。
作品を聴いた感想としては「風通しの良さ」「音の抜けの良さ」「ボーカリストとしての成長・円熟ぶり」が印象に残った。何と言うか、自分的には前作『かぜよみ』について楽曲のクオリティと幅広さは評価するものの、エンジニアリング的な意味での音の抜けがイマイチで、かつ本人さんのボーカルも曲によっては「風邪ひいてるの?」みたいな感想を抱いてただけに、今作のアルバムトータルで聴いてる時の心地良さや解放感、聴いてると映像が喚起される独特の宇宙みたいなものを評価したい。特に最後の曲「トピア」の持つ歌い手の体温まで伝わってくるような、等身大の30歳の女性の幸せの形をアーバンなR&B風に昇華した世界は「頭一つ抜けたな」と感じさせる。
ただ、正直「コントロールしきれていない」感が漂うのも事実で。実際2曲目と5曲目は見事に曲調が被りきってしまっているし(何故か後者での河野伸による弦のアレンジが、Pet Shop Boysの"Minimal"を彷彿とさせるのが面白い)、「女性による作曲/本人の作詞」の曲と「詞/曲共に男性」の曲で明らかにクオリティが違ってしまったり…とか。言わば「習作」として、このアルバムの制作過程から学んだ何かを今後のアルバム制作につなげていけるかどうか、という部分で後から評価されるべき作品ではないか、と。でも個人的にはこのアルバム特有の「さらっと聴ける感覚」はすごく貴重だと思う。『Lucy』『かぜよみ』の次に好き、というポジションかなあ、と。若干「シティポップス(笑)」寄りに偏ってるのが間口の狭さを感じさせるのは明らかに弱点だと思うが。
いっそ、宇多田ヒカルやL'Arc-en-Ciel、BUMP OF CHICKENとか「エヴァ好き」を公言するミュージシャン達に曲を頼んでみたら?とさえ思う。当然「マリの中の人」が歌うという前提だから、本人さんは嫌がるだろうけどw あるいは『荒川…』『四畳半…』の二作で彼女がヒロイン役を務める作品のOP/EDを歌っていたやくしまるえつこの書き下ろしとか歌って欲しいなあ、とか。それも本人さんは嫌がりそうだけど、たぶんそっちの方向にこそ「坂本真綾にしか出来ない表現」の正解があるような気がする。
You can’t catch me(初回限定盤)
確かにね・・・
菅野よう子とのコンビが結局は最高にはじけていると感じさせはしたが
他もそんなには悪くない。
いつもの透明な空気感は健在。
真綾ちゃんの歌は繰り返し聴くほど味が出て飽きないもんだしね。
きっとまた飽きるほど聴いて・・・それでもやっぱり飽きないんだよ。
空海 人生の言葉
空海を評価するのはなんだが、ま、この本を評価するということでなら★三つ。
御存知のとおり、空海・弘法大師は平安時代初期の僧。中国より真言密教をもたらした。
本山は高野山金剛峯寺および東寺。
真言宗の言葉というと真言(マントラ)を思い出すわけで、真言は真実の言葉という意で転じて仏の言葉であるという認識である。
さらに、真言は音が重要であることから、翻訳せず音写を用いるとも聞いている。たとえば、光明真言(こうみょうしんごん)なら、
「おん あぼきゃ べいろしゃのう
まかぼだら まに はんどま じんばら
はらばりたや うん」
で、これを7回、繰り返すのだそうだ。
しかしこの本にはそれが書いてあるの訳ではない。書いてあるのは仏陀の言葉(真言)ではなく、空海(解説者)の言葉である。
さ、では私が感心した空海の言葉。
『生れ生れ生れ生れて生(しょう)の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し』
宝樹山称名院佛向寺の浄土宗とである私は踊念仏とともに「南無阿弥陀仏」と唱えるのみである。簡単。
遣唐使 (岩波新書)
私が本書から新たに仕入れた知識のひとつは、遣唐使船の遭難の理由である。もちろん航海技術が未熟だったせいもあるが、唐の都で行われる元旦朝賀の儀礼に参列するのが原則だったため、航海するのに相応しくない夏に出発しなければならなかったのである。
一方で、道教を日本に持ち込まなかったり、朝廷への影響力を削ぐため鑑真を唐招提寺に囲い込んだりと、当時でも中国文化をふるいにかけて享受していた様が読み取れる。