藤原道長「御堂関白記」 上 全現代語訳 (講談社学術文庫)
本書と御堂関白記 藤原道長の日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)(以下、別著といいます)の違いについて。
本書は御堂関白記の全文が掲載されています。全文を読破したい方は本書を。
本書には原文や読み下し文がありません。これらを確認したい方は別著を。
本書は巻末に用語解説や人物の注がありますが、本文(現代語訳)の解説は
ないので、人物や背景事情などについての知識がないと意味が分からない
部分がかなりあります。従って、解説を読みたい(必要な)人や初学者は
別著を先に読んだほうが良いと思います。
別著にはコラムなども豊富あります。
本書はこの時代について詳しい人が、同時代の種々の日記と併読して比較したり、
この時代についての著書を読み込んだ人が道長の視点で知識の確認をするのに
適していると思います。
バム‘s アンホーリー・ユニオン ハードコア関白宣言 [DVD]
バムと婚約者のミッシー(幼馴染)の結婚式を挙げるまでを追ったドタバタ奮闘記。
大部分で足引っ張ってる(めんどくさいことは一切やりたくない)のは
当然、バム。そんなバムを見事にコントロールする猛獣使いのようなミッシー。
バムにしたら2人目の母親ができたような感じ。
失礼な言い方に聞こえるかもしれないけどミッシーはすごい美人
ってわけじゃないところに、バムが中身に惚れてるリアルな感じが出てる。
ルックス重視で若いモデルとかとパッとくっついてパッと離れる、
芸能人の見飽きてる“結婚ごっこ”とはまったく違う雰囲気。
ミッシーの小さい子に言い聞かせるようにバムを諭すシーン、
本気で怒ってバムがしゅんとするシーン、
めちゃくちゃなことしときながら、バムが家族やミッシーに
さりげない愛情を見せるシーンなど、
見ているこっちが優しい気持ちになります。
(時折見せるバムの「金持ってんどー」な態度は鼻に付くときがありますが藁)
jackass、CKYなどでは観れないバムの魅力が満載。
このDVD見てると「結婚したくなる」ってほどではないけど、
彼女がいない男性は自分のこと理解してくれて、
それでいて一緒にいて楽しい彼女が欲しいなーって気分になります。
御堂関白記 藤原道長の日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)
読み物として面白いかどうかと訊かれたら、
あんまり面白くはない、と答えざるを得ないかもしれません。
読者がいる事を意識しない、
ただひたすら日常の覚え書き程度の雑事が綴られているだけの、
まさに「日記」ですから。
しかしだからこそリアルです。
演出や効果を狙った工夫のない、全くの現実、
藤原道長のリアルかつ平凡な日々を体感出来ると思います。
そもそも他人の日記を読む醍醐味とは
そういうものだと思ってますから、とても読み応えを感じました。
ハミング・スイッチ
キャッチーなスキットが愛らしくて楽しい「ハミング・スイッチ」、
YOURSONGISGOODとコラボした、ホーンの音が少しおまぬけでしみじみとさせられる「関白宣言」のカバーをはじめ、
にか嬢の歌唱力がよりレベルアップしたことを感じさせられる6つの曲が入ったミニアルバム。
変化自在の声が様々なシチュエーションを想起させてくれて、
もともとあった歌世界に、新たな物語を紡いでいくような、記名性が高い歌声であるにもかかわらず、
きわめてポップで、敷居が低く、難しいことなんて考えなくても楽しめるような出来に仕上がっている。
全面支持!
天皇と摂政・関白 (天皇の歴史)
天皇と穢れの問題を論じて、著者は、後一条以降、天皇は観念上は在位中は死去しない「不死の存在」となり、内裏は、国境の外部の穢れに満ち満ちた異界とは対極にある「浄」の中心となって(宇多天皇などは御簾越しに「蕃人」と対面する)、平安朝から神国思想が誕生した、と指摘しているのはじつに興味深い。
また著者は、醍醐天皇を呪い殺したのは菅原道真であり、藤原道長が地獄の三丁目に突き落とされなかったのは追放した政治的ライバルの伊周や隆家の配流を一年にとどめて京に戻したり、自分が強要して皇太子を辞任させた敦明親王に対して太上天皇並みの待遇を与え、自分の娘寛子を納れたからだ、と半ば信じている気配があるのはまことに微笑ましく、さもありなんと思われた。
さらに著者は、この時代にはもはや誰が天皇になっても、摂関や蔵人所や検非違使が天皇の機能を代行できる体制が確立されたと説き、それでは天皇独自の存在意義は何かと最後に自問して、大嘗祭、新嘗祭、神今食における神との共食儀礼と「神器」の保持継承であると自答し、昭和天皇は、それなくして国体が護持できない「三種の神器」の保全のためにポツダム宣言を受諾した(「昭和天皇独白録」)、と指摘している。
これを私流に換言すれば、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」と同じように、「三種の神器」を所有している者が支配者になれる訳だから、われら忠良なる臣民どもが、皇統の後継者についてとやかく詮議立てをする必要は毫もなさそうである。