両手のない猫、チビタ
野良猫の、野良猫による、野良猫のための本。
交通事故と思われる猫の怪我。
生きようという意志と、自分の子供のように援助しようとする著者。
事故や障碍から、這い上がっていく様子を、心あたたまる写真と文でつづっている。
自分では、人間であれば、ひょっとしたら痛々しくて見られなかったかもしれない。
猫だから、違う視点で見られたかもしれない。
生きようという意志の大切さを感じた。
獣医さんや、周りの人、周りの猫の援助や協力や無視があってこそ、
今があるのが分かる。
写真も、野良猫らしい現実味があって素敵です。
ps.
本書を見ながら、猫や野生動物が、交通事故にあわないようにするにはどうしたらいいかを考えた。
動物が交通事故にあわないように考えることは、子供が交通事故にいあわないようにする仕組み、運転方法、機能に貢献できると感じた。
赤塚不二夫のことを書いたのだ!!
武居俊樹と言っても誰のことかは知らないが、赤塚不二夫のマンガに出てきた「サンデーの武居記者」と言えば、40代、50代の元少年サンデー読者なら知らない人はいないはずである。細いつりあがった目に、デカい鼻、えらの張った顔のキャラクター。赤塚不二夫が「靴下クサイ!」と言うと「うるさい!バカ塚」と返す傍若無人なふるまいの編集者は読者に強烈な印象を与えたものだった。その武居記者が赤塚不二夫との仕事について本を書いた。その名も、「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」 。これがとてつもなく面白いのですね。赤塚自ら武居に語ったデビューまでの人生。メチャクチャな仕事っぷりと遊びっぷり。「天才バカボン」のマガジンからサンデーへの移籍の内幕。山田一郎への改名騒動。などなど、どのエピソードも当時サイコーに面白かったギャグマンガがいかにして生まれたかの歴史的証言になっている。何よりも赤塚不二夫の創作の秘密(というよりフジオプロの、か)が語られているのが興味深い。赤塚というと、なんとなく一人でイヤミやデカパン、ちび太にニャロメといったキャラクターを生み出し、マンガを描いていたような印象がある。それがまったく違うことに気付かされ驚かされる。当時フジオプロには、長谷邦夫、高井研一郎、北見けんいち、とりいかずよし、古谷三敏、あだち勉ほか、現在も活躍する綺羅星のごとき才能が集まっていた。すべての作品は赤塚本人とアシスタント、そして編集者によるアイデア打合せによって生み出されていたのだ。しかも、ほとんどそのアシスタントから一本立ちしたプロが育たなかった手塚と比べ才能が枯れる前にデビューさせた赤塚は結果的に自分の作家生命を縮めたとも書いてある。深いなあ。100年に一度の天才ギャグマンガ家・赤塚不二夫はアルコール中毒に脳内出血など多くの病気を併発し、現在都内の病院に入院中。意識はないという。ぜひとも、奇跡の回復を祈りたい。