人さまざま (岩波文庫 青 609-1)
アリストパネスに代表される時事問題や個人の風刺を主とした古典的なギリシア喜劇は、ヘレニズム時代に入って性格描写やプロットの面白さに重点の置かれた新喜劇へと移行します。性格のタイプによって仮面が定められ、プロットは極度にパターン化される。そのため芝居は同工異曲のものと堕し、しかしそれでも人々は飽くことなく楽しんだといいます。この倦怠の時代、哲学者たちも人間の性格の類型的な研究に興味を抱くようになったといわれ、この著作はその所産です。原題は“Charakteres”で『性格論』とも訳される本書は、つまり人間の性格の分類・類型を主眼とした図鑑のようなものです。
テオプラストスは、アリストテレスの学園の二代目学頭。アリストテレスの学問を受け継ぎ膨大な著作を残しましたがほとんど散佚し、従ってこれはその僅かに残った著作の一つです。部分的に『ニコマコス倫理学』と関連があるようですが、学問的著作というよりは私的な楽しみのための覚書のようなものだったと考えられています。リュケイオン学派の著名な学者にとってこのようなテクストしか時の試練に耐え得なかったことは皮肉ですが、しかしここに存分に発揮された文学的な才能はただごとではありません。時代も文化も異なる我々が読んでも新鮮で、充分に楽しむことができます。当時の風俗に関する予備知識を多少要しますが、本書には詳細な註が付いているので、ギリシア古典を読むのははじめてという人にもお奨めです。
饗宴 (新潮文庫 (フ-8-2))
新潮・森訳の感想だが、日本語が平易でこなれていて、特に登場人物達の会話の間が非常に読みやすかったと思う。一方で、岩波版のレビューで挙げられていた岩波版冒頭の誤訳疑惑(=最初の頁の「坂を上っていく」云々)の箇所は、新潮版も岩波版と似たような訳になっている(笑)。といったような、細部を専門的に評価する必要のない素人読者としては、以下の点が面白かった。
-1.
「愛について」という邦訳副題にあるように、本書はソークラテースの他、彼の愛人アガトーン(悲劇詩人)、ソークラテースの批判者であるアリストパネース(喜劇詩人)、など6人の論者が「愛とは何か」を議論した酒飲み話として書かれている。ここでソークラテースは他の5人と違って、愛を無条件に至上のものとは受け入れなかった。人は欠乏・不完全さを抱えるが故に、「愛とは、善きものが、永久にわが身のものになることを、目的としている」(89p)、「愛の対象とは不死でもある」(91p)と整理しているのだが、具体的な行動としては、一人の少年や人間、あるいは一つの営みに執着せず、無限の美と知識愛を観照することを賞賛する(99p)。そういう意味では、彼にとっての「愛」とは永遠を志向する以上は未完で終わらざるを得ないプロジェクトなのであり、それ故に愛の対象を至上の善とするなら、知を愛し求める人は「知者と無知者の中間」(84p)に留まらざるを得ない。このようなある種諦観的なビジョンはそのまんま近代哲学の認識論の本流にまで繋がっていくものだが、これが実際の恋愛行動に落ちると、彼の場合は本書でも何箇所かで触れられているが、情熱的に美少年達を追い回すということになる(笑)。確かに理屈の上では一貫性があるものの、言ってることの高尚さとのギャップが笑えた。
-2.
本書最後の登場人物はアルキビアーデスという人だが、この人は権力を追われた軍人政治家であり、彼が弟子だったことがソークラテースの死刑の遠因になったとされている。プラトーンは本書の中で、二人の関係がアルキビアーデスの横恋慕であるとしており、師の死が不当だったことを告発しているが、同時にこの片思いが、この会話劇の中で酩酊状態の彼が語る師への愛(=不完全な弟子が完全な師に恋焦がれる愛)とソークラテースの語る永遠への未完の愛とのギャップ、彼らの間の座る位置をめぐるやりとりに重ねられている。この何重にも意図が重ねられた最後のオチの構成力は、さすがプラトンである。他の論者達の語る愛の語り口も、詩人やソフィストの話振りがパロディ的に真似られており、本書を哲学書であると同時に文学書として楽しめたという感想が多いのも頷ける。
-3.
本書解説を見れば分かるように、古い作品だけあって解釈が如何ようにもできる不透明な箇所が少なくない。西洋哲学がテキスト論や文献学・解釈的方法論を延々と問題にしてきた理由の一つに、源流である古代ギリシャ哲学を読むことが既にそういうテクスト論を強いてくる点にあるのかもしれない。
ソークラテース自身は重層歩兵として従軍経験もある人だが、かなりマッチョでエネルギッシュな生を楽しんだらしいことが本書のエピソードからは感じられる。が、一方で生きた話し言葉を書きおとすことを拒んだために、後世の我々は彼が実際に何を考えていたのかは弟子達等の文献から間接的にしか分からない。でも、これも「永遠」の前で「未完」にあることをポジティブに受け止めた彼らしいエピソードだと思う。
青春歌年鑑 1969 BEST30
カルメン・マキの「時には母のない子のように」からはじまって、ビリー・バンバンの「白いブランコ」や由紀さをりの「夜明けのスキャット」(そう「ルールールルルー、ルールールルルー...」というスキャットだけで1番が終わる歌)、和田アキ子の「どしゃぶりの雨」、奥村チヨの「恋の奴隷」(「アナタ好みの、アナタ好みの女になりたーいー」ていう唄)、など当時を想い出すステキなお歌がイーッパイ!
千賀かほるの「街のどこかにー淋しがり屋が1人、今にも泣きそうにギターをひいている。愛をなくしてー誰かを求めてー、さまよおー似た者どうしだもの...」で一世を風靡した「真夜中のギター」。整形した変身後のミコ、こと弘田美枝子の「人形の家」わたしはーハナタにーヒノチをはずけたー!
新谷のり子の「フランシーヌの場合」はあまりにもオバカさん、フランシーヌの場合はあまりにも哀しい、3月30日の日曜日パリの朝に燃えた命ひとつー、フランシーヌー...。それに、トワ・エ・モワの「ある日突然」ふたり黙るのー、あんなにお喋りしていたけれどー、いつかーそんなー時がー来るとーワタシには分かっていたのー...。その他、シューベルツの「風」とか、森山良子の「禁じられた恋」、青江美奈の「池袋の夜」、佐良直美の受賞曲「いいじゃないの幸せならば」、内山田弘とクールファイブの「長崎は今日も雨だった」も欠かせませんよネ。そして、今となってはレアもののナツカシさ、「明日という字は明るい日と書くのネー、アナタとワタシの明日も明るい日ネー」の歌詞でお馴染み、真理子の「悲しみは駆け足でやって来る」。さらにさらに、フォーリーブス、高田恭子、ヒデとロザンナ、ちあきなおみ、小川ローザ、etc.etc.といった面々が勢揃いして居りますゾ。
皆さん、この冬には此の音盤を聴いて、青春の日々を思いだしましょう!!
きっと買うんですヨ。お約束でしてよ。いいこと?
青春歌年鑑 演歌歌謡編 1970年代ベスト
曲目の中に2、3曲でも惹かれる曲があったなら、入手してみるとよい。
70年代のベストだけあって、他にも琴線に触れてくる曲が出てくる。
改めて新しい発見をする喜び。
この時代の歌謡曲が好きならオススメ!
輝きの軌跡~森進一歌手生活40周年記念リサイタル~ [DVD]
森さんのデビュー当時からの密かなファンです。いずれの歌もすばらしい!この人は歌手というより、魂の表現者として我々の前に存在しているのだとしみじみ感じました。一つ一つの歌にこめられたパッションは、様々な困難に遭遇しつつもなお一筋に歌い続けている彼の生き様を髣髴とさせます。